3月4日、黒木さんの3回目の裁判があった。
今回も、裁判を傍聴されたイワシさんがブログ(鰯の独白「3月4日宮崎地方裁判所延岡支部第1法廷 第3回審理」)にその様子を記述してくれた。前回同様、大変感謝している。
こうした記述によって、裁判の内容が多くの方に伝わることの意義は大きい。
もちろん記述すること自体が判決に影響を及ぼすものではないが、裁判の公正性を担保するのは多くの「第三者」の視点なのだ。民主主義の原点を感じさせてくれる。そして、こうした行為が何より黒木さんの力になるに違いない。
黒木:「裁判長。裁判長はどういうふうに思われましたか?」
裁判長:「どういうふうに、とは?」
黒木:「私の書いた陳述書を、裁判所はどう思ったかを教えていただきたいのです」
すると裁判長は、あきらかに困惑した。 (鰯の独白より)
僕はこのやりとりに「目から鱗」的な、ちょっとした衝撃を受けた。
この裁判が始まってからというもの、やれ訴状が…、やれ証拠が…、そんなツイートをイヤというほど見てきた。もちろん裁判なので、法とロジック、そして証拠が重要な事は間違いない。
ところが、黒木さんは陳述書に記載した自分の行動について、裁判長に主観というよりも、むしろ「人としてどう思うか」みたいな質問をしたのだ。まさか裁判長もこんな質問をされるとは思わなかっただろう。
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僕はふと思い出した、彼女のツイートを見かけた1年前の事だ。
「ゴミは持って帰って、自分の前に積んでください。」
タイムラインを流れる数々のツイートの中で、彼女のこうした訴えは異色だった。僕が日頃接している一連の文脈とは、明らかに違うものだった。
それに添付された画像。
切り開かれた山中に投棄される、永久に馴染むことのなさそうな緑色の砂。
… これはゴミだろう・・・。
僕たちにはそれを感じるセンサーがある。有価物とか廃棄物とか、そんな何かの理屈で造られた単語を並べる前に、「人として」善悪を判断する感性がある。
彼女の言葉は、そこに訴えてくる。
「裁判長はどういうふうに思われましたか?」
黒木さんのスタンスは何も変わっていない。
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「偽装リサイクル」は偽装されている。
なので、「偽装リサイクル」をしている者は、声高々に「これは合法だ」と言えるロジックを持っている。「偽装リサイクル」は常に合法の中に存在するのだ。
これを看破する最初のステップは、僕たちに備わっている感性だ。
ダメな事は、ダメ。まずはそこからだ。
<おわり>