その土地が誰の所有であろうとも
フェロニッケルスラグは永久にそこにとどまり続ける。
以前、一回り以上年上の知り合いに相続の話があった。地方にお住いのお義父さんが亡くなられた時のことで、親族で葬儀を済ませ、その後、相続の話になったそうだ。
「これで、悠々自適じゃないですか?」、と僕。
「いやぁ、兄弟4人だもの、大したことないよ~。ところでね…」
彼の話によると、生前に本人がいろいろと準備していたので、相続の話自体はスムーズだったのだが、困ったのは農地と山林だったいう。彼は僕と同じで、東京近郊に住んでいる。結局は、地元に住んでいるお義兄さんに任せることにしたのだそうだ。
「山林持ってるなんて、なんかいいじゃないですか。」と僕。
「いやぁ、それがすごいところにあってね、人なんか入れないんだよ。」
亡くなられたお義父さんも元々は半勤半農の兼業で、とてもじゃないが、山までは手が回らなかったのだそうだ。地元に住むお義兄さんも勤め人、農地は農協に任せ、山林は保安林にするか、返納するか、そんな感じなのだそうだ。
「先祖代々、子々孫々」
そんなイメージを持っているのは、僕のような者だけかもしれない。
確かに昔は、山林は財産だった。もちろん今も山林で生計を立てている方もいるだろう。だが、機械化の進んだ農業と違って、山林で収入を得るには知識と労力が要る。運が良ければ、タケノコやマツタケ等が採れて季節の臨時収入にはなるかもしれない。しかし日本の大半の山林には、もう昔ほどの財産価値がないのだろう。
ここからはまた、僕の推察だ。
そんな山林に「降ってわいた」儲け話、地権者たちは飛びついたのだろうか。
前回も記述したが、この「土地造成」は彼らが自発的に計画し、資金を用意して行った事業とはとても思えない。「埋めさせてやった」のだ、当然「土地造成」の費用は事業者側が負担し、彼らは何がしかの利益を得ていたと、考えるのが当然だろう。
その利益がどんな形なのか…、その話はまた別の機会にするとして、ひとつ考えたいポイントがある。
それは「フェロニッケルスラグは永久にそこにある」、ということだ。
宮崎県が「有価物」と判定している以上、「土地造成」に使われたフェロニッケルスラグは地権者たちの財産ということになる。
今の地権者もやがて代替わりする。その土地も、いつかは相続になる。フェロニッケルスラグは永久にそこにある。当然、相続者は「フェロニッケルスラグごと」相続しなくてはならない。リスクと共に、それこそ「子々孫々」だ。
話はここに留まらない。
人口減少や過疎化が言われる日本の地方都市で、その一家が代々永久にその場所に住み続け、必ず子孫を作り、相続し続ける保証はどこにもない。いつか手放さざるを得ない時が来る可能性は少なくない。
その時に、フェロニッケルスラグの埋まった土地は転売可能なのだろうか?
現在の「不動産鑑定評価基準」には土壌汚染調査は欠かせない。必ず調査が入るはずだ。その調査で、この土地はどんな評価になるのだろうか?購入者に通知する義務は生じないのだろうか?
「土地造成」された民間の土地は、通常、販売されたり賃貸借されたりする。そこには宅地建物取引業法など、土地利用に関する法律がある。関連法との整合性が取れているのか…、調べてみる必要がありそうだ。
フェロニッケルスラグは永久にそこに留まり続ける。
その土地はどこへいくのだろう。
<おわり>