2014年12月5日金曜日
無過失責任
黒木さんのブログに登場する人物たちは皆どこか不可解だ。
中でも、最も不可解なのは3人の「地権者」だろう。
皆それぞれが、自分の所有する山林にスラグを埋めさせている。
その構造について、少し推察をしてみることにした。
「製錬所のゴミを埋めさせてやっている。」
地権者たちのこの認識は共通しているようにみえる。「○○に頼まれた」「山を提供した」「貢献している」、そんな言葉が印象に残る。
ここで思うことは、彼らの決断が受動的要因、つまり「誰かに言われてやった」ということだ。自分の所有する山林を有効活用しようと思い立ち、自ら事業計画を立て、資金を調達し、その工事を依頼する…、彼ら地権者に、そういった「自分の意思」があったとはとても思えない。
そこには、何がしかの「利益」があって然るべきだ。だが、それだけなのだろうか?地元の有力企業からくる話、「断れば角が立つ」的な地縁圧力が後押しして、「利益」と引き換えに「ゴミを埋めさせた」、そんなネガティブさ、「喜んでやったわけじゃない」感じがする。
「製錬所が安全と言った」「市役所が許可したはず」
こんな話は往々にして無責任だ。「頼まれて、(仕方なく?)埋めさせた」、それが彼らのポジションだ。事業はすべて他人任せ、当然、責任なんかとるわけがない。それどころか、何かあったら自分たちも「だまされた」「被害者だ」ぐらいの心情だろう。
そんな地権者たちに、黒木さんの言葉は響いているのではないか?
彼らだって薄々は感じているだろう、「フェロニッケルスラグは本当に大丈夫なのか…」っていうことを。だから、黒木さんが問い詰める現実に目を背けたいのだ。彼女の言葉は、地縁圧力を言い訳に土地を汚した「彼らの弱さ」を浮き彫りにしているに違いない。
後は「フェロニッケルスラグ安全神話」にすがるしかないだろう。
… ここまでは僕の推察だ。
無過失責任
ところで地権者たちは、自分たちのリスクを理解しているのだろうか?
環境汚染が発覚した場合、汚染対策の費用はその原因となる行為をした者が負担するという、「汚染原因者負担の原則」がある。当然、「原因となる行為をした者」なので、「100%地権者の責任か」という判断はあるものの、内容を承諾をして、利益を得ていれば責任を免れることは難しいだろう。
さらに、環境関連の法律には「無過失責任」が認められている。
通常の損害賠償請求では、その行為が「故意」か「過失」かで責任の度合いが違ってくる。ところがこの「無過失責任」は文字通り、「過失は認めない」ということ、つまり汚染が発覚した時点で、その責任は原因者がすべて負う、ということになる。
その時になって、「わからなかった」「知らなかった」は通用しないのだ。
<おわり>